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淡雪のような和三盆

練り製品「大丸」

2013.9.17 

「はたのみち草第9回』
下田の太鼓台(2)

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michikusa

祭りの準備

太鼓台の準備は5月半ば頃から始まる。
5月には毎年色を変える小シボリやフトン締めなどの色決めを相談する。6月に入って注文した布が届くと、手分けして布を必要なサイズに切り分ける。この作業ははさみを使わずに3人がかりで手で割いていく。割いた布は地元の縫い子に頼んで縫い合わせをしてもらい、長い筒状の袋が出来上がる。

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7月初旬には縫いあがった袋に籾殻を詰めていく作業(籾詰め)を行い、出台の前日に太鼓台の組み立てを行う。組み立ては1日がかりで行われて、年長者の指揮のもと、段取り良く出来上がっていくが、その際の会話はほぼここでは書けないようなことばかりだ。

下田の太鼓台は毎年小シボリやフトンの色が変わる。決まりがあるわけではないので、自由に色が選ばれるのだけれど、地区ごとに暗黙のテーマカラーは存在する。下田のカラーは黄色で、水戸のカラーは水色。地区の運動会でもその配色で地区を識別しているらしい。地区ごとにテーマカラーがあるというのも面白い場所だ。
写真からも分かるように太鼓台のカラーは下田独特の色彩感覚がいきている。
ややもするとクドくなりそうな配色が組み上がるに従ってそれなりに収まってくる感じは毎年密かな僕の楽しみでもある。

揺れの醍醐味

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持ち場はいろいろ

太鼓台を巡行していくにはいくつかの役割がある。太鼓台の中で暑さに耐えながらバランスを取って太鼓を打ち続ける「太鼓打ち」、担ぎあげたり止まったり大きな動きの起点を知らせる「チャチャン」と呼ばれる拍子木をもった先導役、太鼓台の脇で誘導する「舵取り」、荷重に耐えつつ太鼓台を担う「担ぎ手」、すべての役割が上手く機能してはじめて前に進んでいくのだ。

太鼓台は普通の神輿のように肩で担ぎ上げては担えない。その担ぎ方ではむしろ危ない。
今年は僕もしばらく担がせてもらったが、他の神輿との違いはなんといっても自分の貢献が実感されないことだ。
太鼓台を担いでいる人で、自分の貢献を実感できている人がいるとすればかなりの力持ちで、およそそういう人は担ぎ手の中でも角位置にいる特別な人だ。
それ以外の多くの担ぎ手にとってはひたすら「重い」と言うか、「痛い」と言うべきか迷う感じのナニモノかが肩にのしかかっている感じだ。
これをまっすぐ下から担ごうとすると腰を痛めたり、バランスが崩れた時に怪我をしたりしてしまう。上手い担ぎ手人を見ると、必ず太鼓台の外側で足を踏ん張って斜めの姿勢を保っている。これだと太鼓台がバランスを失って片側が下がっても自分も同じように腰を下げることで耐えていられる。
熟練達曰く、バランスさえとれていれば自然に前に進むものらしい。

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醍醐味のありか

太鼓台の醍醐味は、日が暮れ始め太鼓台の提灯に火が灯る頃からだ。数時間の巡行で担ぎ手も消耗して、バランスが崩れがちになる。一度バランスを失うと太鼓台は大きく揺れて傾きはじめ、一人や二人の力ではその動きを止められない。
すると、傾いている側のどこからか「せーの!」と掛け声がかかる。声に合わせて皆が力を入れるのでまたバランスを取り戻す。このふらふらする頻度が夕暮れとともに増していき、何度も「せーの!」の掛け声が響くようになる。
その頃、暗くなった通りの玄関口に沢山の人が出てきて、ふらふらする度に歓声を上げながら声援がはじまる。なかには往年の担ぎ手がやや酩酊しつつ担ぎ手として参戦したり。
最近では担ぎ手が減って交代要員がいないため、人通りの少ないところではキャスターに載せるようになっているが、この揺れてふらつく太鼓台をハラハラしながら声援を送るのがこの祭事のタダシイ楽しみ方だ。

祭りのまわり

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通りの戸口から

太鼓台が通ると家の中から奥さん(なぜかたいてい女性)がでてきて、封筒をもってウロウロし始める。
「花」を集金係に渡すためだ。
そしてどういうわけか渡す方、渡される方両方が「ありがとうございます。」と言う。
沿道で励ますおばあちゃん達もよく「ありがとう」と声をかける。
花は集金係が管理するが、太鼓台が休憩で止まる度に花をもらった人の名前を札に書いてフトンに貼り付けていく。
夜になる頃にはもうフトンの色がわからなくなるくらい札でいっぱいになってしまう。

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港町のチカラ

太鼓台についてウロウロしていると毎年色んな話が聞ける。
今年聞いた話では、昔は担ぎ始めは4人ほどが担いで歩き始め、太鼓台が自分の家の前を通るあたりから担ぎ手として参加していったそうだ。この1トン近い太鼓台を4人で担いだというのだから舟運に関わる労働者が多く暮らしていた街ならではの話だ。
しかも昔は太鼓台を担ぐ前に対岸から神輿を舟に乗せて手漕ぎで運んだり、「ヨスコイ」と呼ばれる舟のレースも同日に行われていたというから下田恐るべしである。

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辺りがすっかり暗くなる頃、フラフラしつつ太鼓台が出発地点に帰ってくる。高知のことだから近くの集会所で打ち上げになるかと思いきや、保存会の代表が安堵の表情でお礼を伝えた後に出るのはスイカとそうめん。担ぎ手たちは疲労困憊して食べることもキツイほどだからだ。赤紫色に腫れあがった肩の若者たちは「もう来年はかかん。ムリ。」などと言いつつ帰路につく。もちろん1年を待たずにそんなことは露と忘れ去られるのだけれど。

下田の街を太鼓台が練り歩いた翌日、腫れ上がった肩の若者達が太鼓台で壊した箇所のお詫びに何軒かの家を回る。
盛夏を前に祭りのあとの小さな寂しさを残しつつ、下田はもう次の夏に思いを馳せ始める。

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はたのみち草 12345678


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