「最後の清流」
そう謳われて久しい四万十川。
蛇行する河川、青い空を鏡のように映す穏やかな川面、両岸を結ぶ沈下橋、近接する背景の山並み。この川のイメージは写真のようなものではないだろうか?ポスターやメディアで見かける四万十川はこんな川だし、少なくとも僕はこの川のそばで暮らすようになるまで、四万十川について抱いていたイメージはこうだった。
外側から見る四万十川は「あこがれの清流」でも良いわけだけれど、ここで暮らすとなると話は別。
時として暴れ川に変貌する四万十川では多くの知恵や工夫が川辺の暮らしを支えていて、少し目を凝らすとそれらに出会うことができる。
口屋内の洪水碑
写真は前回の記事でも触れた口屋内(くちやない)という集落にある洪水の記録碑だ。神社へ続く石段の途中に高さ30センチほどの小さな石碑が据えられている。伝えているのは「明治23年の洪水ではこの高さまで水が来た」ということ。
機会があればぜひ石碑の場所から集落を見下ろしてみてほしい。洪水の高さに驚くはずだ。
増水位は重要な情報なので、石碑に限らず集落ごとになにかしらの方法で伝えられていることが多い。口屋内の例もそうだけれど、流域では神社の境内の高さが概ね洪水時でも浸水しない高さと考えて良いようだ。(そう考えて神社の高さを見ていくと増水位の高さに驚く事が多い)
もっと見つけやすいのは川辺のヤナギ等の上方に引っかかっている青色や透明のビニールだ。これも直近の増水時に上流の畑地から流出したもので、増水位を知る手がかりになる。
「今頃来たちいくか」
口屋内から10キロほど下流にある川登(かわのぼり)という集落。
写真は平成17年の増水で大きな被害が出た時のもの。この時の増水では学校1階の天井近くまでが浸水して多くの被害が出た。ボランティアは下流の道路が浸水してなかなか現地に辿り着くことができず、ようやく到着した僕らにおばあが言った。
「今頃来たちいくか」
最初は到着の遅れのことかと思ったが、よくよく聞くとそうではない。
タイミングが遅いのだと言う。
おばあは増水前にさっさと避難して一夜を過ごし、水が引き始める頃に帰宅。引いていく水と一緒に家に溜まった泥を掃き出してしまったのだそうだ。あとは近くを通る男手に畳など重いものを頼んで、根太まで綺麗に掃除を終えてしまっていた。このタイミングを逃すと人力で泥を運んだり、乾いてしまった泥を洗い流したりあれこれ仕事が増えるというのだ。
川の増水を毎年経験する川沿いの暮らしでは浸水も折込み済みで、それに応じた「所作」がある。
(つづく)