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嗚呼絶景四国哉-3.高知市を一望!まるで箱庭、五台山。

嗚呼絶景四国哉-4.空から山を。

2013.5.9 

「はたのみち草第1回』
口屋内の沈下橋

橋のこれまで

この口屋内の沈下橋ができたのは昭和29年。口屋内へ合流する黒尊川流域で国有林事業が大きく展開し、支流域の奥にまで多くの働き手が流入していた時期である。黒尊の山から切りだされた木材は森林軌道に載せられて口屋内へ集められ、そこから筏に組んで川を下り、河口の街下田まで運ばれていた。
その頃の川は物資を運ぶための道であり、筏だけでなく、センバや高瀬舟といった生活物資などを運ぶ川舟が四万十川を往来していた。沈下橋は運搬手段が川舟からトラックへと変化する過程で、川の運輸の終わりと道の運輸の始まりを告げるように現れた構造物なのである。
口屋内沈下橋の建設には地元の住民が労働力として多く雇用され、その結果冒頭のおばあのように自らコンクリートを練って「橋を作った」と言える人たちが出てきたわけだ。
ちなみに口屋内の沈下橋完成後しばらくは住民以外の通行車両は有料で通していたらしく、右岸側に小さな小屋(料金所)が建てられて、当時は「賃取り橋」と呼ばれていたそうだ。やがてより安定した道を求めて沈下橋下流側にトラス橋が建設され、森林軌道の路線が道路に置き換わって行く頃には四万十川は運輸という役割を終えていく。

その口屋内の沈下橋だが、実は平成25年1月現在この橋を渡ることはできない。平成22年8月某日、橋脚を支える台座が老朽化によって沈下を始め、数カ月後に右岸側の橋桁2径間が落橋してしまったのだ。橋は従来の形状を復元するよう修復中だが、その完成を待たずに橋を通学路としていた左岸側の小学校は廃校となってしまった。

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橋桁が壊れたことで分かったこともある。
ミキサー車もない時代に人手で練ったコンクリートながら沈下橋のコンクリートが非常に出来が良いということだ。しかも、現在もコンクリートの劣化は大きく進んでおらず、壊れた橋の断面は砂利を含んだとても綺麗な表情をしている。今は規制がかかって川の砂利をコンクリートに練り込むことはできなくなってしまったけれど、沈下橋の断面を見てみたい方は廃校になった小学校の運動場を訪れてもらいたい。
子どもたちの力作に埋め込まれた沈下橋の欠片を目にすることができるはずだ。

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はたのみち草 12345678


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