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淡雪のような和三盆

2013.9.14 

祖谷の暮らし③ 「篪庵」とは何なのか [part1] 「アレックス・カーと篪庵」

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2011年10月、初めて篪庵(ちいおり)を訪れた時は本当にびっくりした。というか、カーナビを頼りに向かったのだが、周辺まで来たものの一体どれが篪庵なのか分からず、近所の家を訪ね、教えてもらってやっと辿り着いた。篪庵は徳島県の東祖谷、釣井(つるい)という集落の上部にあった。車道からはその姿が見えない立地で、急な崖地にポツポツと点在する家々を結ぶ昔からの生活道、「里道」と呼ばれる未舗装の細い道をすり抜けてアクセスするようになっていた。(現在は車で家のすぐ横まで降りられるようになっている)
篪庵は、本当にただポツンと建っていた。隣の民家も見えない。そして、古びた茅葺き屋根、周囲にはまばらに杉林が囲み、そこらの荒地には背の高いたくさんのススキが秋風にたなびいていた。家の前面の石垣は、急な崖地に作った平坦な土地を力強く支えるように高く立派に築かれていた。その佇まいは、これまでにまったく見たことのない、けれども確かにここは日本なのだという不思議な感覚に陥らせた。この「一体何だここは」という強烈なインパクトは、それから私が篪庵を管理するNPO法人「篪庵トラスト」で働き始めて2年ほど経った今でも消えずに残っている。

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アレックスが初めて祖谷を訪れた1970年代当時の祖谷


篪庵は、1973年にアレックス・カーという当時21歳だったアメリカ人が購入した築300年余りの茅葺き屋根の家だ。子供の頃から「お城に住みたい」と願う少年だったアレックスにとって、篪庵の購入は念願の「お城」を手に入れるということだった。
彼が父親の仕事(米国海軍の弁護士)の関係で初めて日本を訪れたのは、当時12歳だった1964年。日本で東京オリンピックが開催された年。まだまだ都市部にも古い町並みや緑も多く残っており、日本滞在中の2年間、その今となってはすっかり消え去ったであろう風景の中にあった様々な日本建築に触れることで、その美しさに心を奪われた。日本の伝統的な家こそが自分の「お城」だと思ったという。
イェール大学で日本学を学んでいた1971年、アレックスは再び日本を訪れ、日本中をヒッチハイクで旅した。そして辿り着いた神秘的で美しい日本の自然が残る祖谷にすっかり魅了され、自分が住むための空家を探し回って見つけたのが篪庵だった。

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祖谷の人たちの協力で茅の葺替えをする(中央がアレックス)


篪庵の購入から、その後現在までの40年間、篪庵では彼と彼にまつわる様々な出来事が祖谷という四国の山深い土地で展開されてきた。そもそも21歳の学生で、しかも外国人であるアレックスが、1971年当時祖谷に来て「お城が欲しい」と空家探しをしていたということは、祖谷の人にとって訳が分からない状況だったのではないかということは想像に難くない。この点に関しては、自分も祖谷に来て住処を探す際に空家探しをしたので、重ねて考えられることもある。
けれども、アレックスが祖谷に来て祖谷の人たちと接する中で感じたことについて、本人からとても興味深い話を聞いたことがある。「山深い秘境と呼ばれ、昔から他地域への行き来が難しかった祖谷では、他地域の人は全て「下の人」(しものひと)になり、祖谷の人にとって祖谷川を下った先の池田の人も東京の人もアメリカ人の自分もすべて下の人という感覚だ」という話。これは、ある意味で祖谷の人たちの「分け隔てるけど、他方は全て一緒」な感覚を言い当てている気がする。篪庵がこれまで祖谷の人たちの協力によって、数度に渡る茅葺き屋根の葺替えを始め、管理修復を続けてこられたのは、この話の本質が全て繋がっているのではと思わされた。

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茅の葺き替えをするボランティアスタッフ


昨年亡くなられた篪庵のお隣に住む尾茂(おも)さん。アレックスが来た当初から、お隣で篪庵のこれまでの40年をずっと支えてきた方だ。篪庵を維持するため、そして篪庵のある祖谷の美しさを維持するために、まずはここに人が住み続けなければならないと考えたアレックスにとって、祖谷での生活を営む上で欠かせない隣人だった。その後、アレックスが仕事の拠点を京都やタイに移した1980年代中頃からは、世界中から集まった数多くのボランティア(その数は優に100人を超えるという)が篪庵に住み、維持管理をしてきた。そして、それは本当につい最近までの話で、私を含めた現在篪庵トラストで働く3名が固定されるまでに30年近くを要したことになる。

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[左] 尾茂さんとアレックス、篪庵の縁側で
[右] 屋根用の茅を運ぶ尾茂さんとアレックス


篪庵は2012年8月、茅の総葺き替えを含む大規模な改修工事を経て、かつての趣を留めた茅葺き屋根の家でありながら、現代的な設備と快適性を持った1棟貸切りの宿として再出発した。アメリカ人であるアレックスが40年前に見つけた篪庵、それを維持するために様々な国から集まった数多くのボランティア。そして、その活動をみんな「下の人」という目線でずっと見つめてきた祖谷の人たち。
それが今、篪庵トラストで宿の運営などを行う現場スタッフは、全員がボランティアではないし、全員が日本人になった。そして、3人とも祖谷に定住しつつあり、祖谷の人から見ても「下の人」ではなくなって来ているのではないか。このことは、何かいわゆる日本の「田舎」や「原風景」といったことを考える際に、とても大事なことを示唆していると思う。
日本の風景が美しく残っていくことを願うアレックスの取り組みが、今やっとスタートラインに立ったのではないかと感じている。

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2012年の大規模改修工事後の篪庵(外観)

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2012年の大規模改修工事後の篪庵(内部)


◎Chiiori Mountain Lodge(宿泊ページ)
http://www.chiiori.org/stay/stay.html

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