護岸工事のされてない、今や貴重な自然のままのリアス式海岸線が続く四国、愛南町。
陸路で高松から約4時間。海外や東京に行くよりも時間がかかる、
しかしそれをかけただけの価値がある宝が、この地には詰まっている。
まるで沖縄かと思うようなエメラルドグリーンの海。よく見るとちらほらと黄色い熱帯魚も泳いでいる。
黒潮が近くを通る四国南西部の海は本当に綺麗だ。まるでかつて旅した奄美大島のよう。
戦時中には海軍の施設などもあった最西端高茂岬の付け根に、その集落はある。
つげ義春や安藤忠雄などもかつて訪れたという石垣の集落「外泊」だ。
城壁か要塞かと思えるような石垣に、民家が密集し、路地が網の目のように走る。
ここを訪れるのは今回が2回目。
初めて訪れた時はただただこの特殊すぎる景観が放つ無言の歴史の積み重ねに圧倒され、
写真を撮ることすらおぼつかなかった。
今回はリベンジも含めての旅となった。はるか海には鯛の養殖が見える。
隣のこのあたりで一番大きな集落「中泊」の2男、3男が人口過多の為に移住し、
新しく作ったというこの集落、全盛期は周囲に見える山も全て畑として活用し、半農半漁の生活を送っていた。
しかし今ではそこは緑にほとんどが帰ってしまっている。
自然と一体になっても不思議な美しさを放つから石垣というものは不思議だ。
外泊の冬は厳しい。
穏やかな海が冬には白波で真っ白になるという。
強風に巻き上げられ、海水が集落に上から下からと降り注ぐ。それを地元では「しまき」という。
しまきという言葉は潮が巻くから来ているという話も。石垣はそれを防ぐ為に作られた。
昔はどの石垣も水しぶきを防ぐため軒下まであったという。
建材の進化などもあり、今では石垣は当時の半分ほどの高さに下げられた場所が殆どだ。
石垣には一箇所だけ海が見えるように窓が作られた。
妻はそこから海を見て、夫の漁の帰りを、無事を祈った。
かつては集落が密集していたが、今では空き地になった場所も多い。人口はここも激減している。
石垣はほぼ全てが直角に作られているが、一箇所だけ丸く作っているところが数箇所だけ存在する。
とても素人が作ったとは思えない曲線美の美しさ。
人はどんな環境であっても、しがみついてでも生きていく。
過酷な自然環境に寄り添い、それでもなお営みを続けてていく人間の強さを、九州に沈む夕日を見ながら想った。
時を経ても崩れない石垣はその意思を体現している。
だからこそその純粋で力強い造型は美しく、見るものの心を打つ。
この列島の自然は本当に美しい。そしてそこに住んでいた人々の生活も、また美しい。
僻地がゆえ開発から取り残されたかに見えるこの地には、
すっかり今の日本が失ってしまった宝がつまっている。