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升形商店街の風物詩、軒下のツバメたち。《高知》

2013.5.9 

「サラリーマンじゃない働き方を。」吉田絵美さん

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徳島県三好市地域おこし協力隊 吉田 絵美 さん

1980年生まれ・徳島県徳島市出身・徳島県三好市在住

アパレル系企業でデザイン・企画を4年、有名インテリアショップのバイヤーとして4年。なんて華やかな経歴! そんな計8年間の東京ライフを経て、地元である徳島県にUターンしてきた吉田絵美さん。現在は徳島県三好市の地域おこし協力隊として2011年8月から赴任している。地域おこし協力隊とは、過疎地域と呼ばれる地方に地域外の人材を誘致し、その地域への協力活動に約3年の任期で従事しながら、人材の定住・定着を図っていくという総務省の事業。吉田さんが赴任した三好市は、徳島県西部、四国の中央部に位置し、2006年に6つの小さな町村が合併した高齢化率が高い地域になる。トレンドの最前線を進み、若者が憧れを抱くような華やかな業界から一転、若者の流出の激しい小さな田舎の町へと移住した理由に「東京での生活に不安があった」と吉田さんは話す。

自分の力じゃないっていう不安感があったんです。

「東京での仕事はやりたいことだったし、やりがいはありました。だけど、“会社に雇われている”というのがどこか負い目にあって、仕事の成果も自分の力じゃなくて会社の力なんだとか、人脈も会社があるからつながっているんだとか、“会社が無くなればゼロになる”っていう意識がいつもどこかにあったんです。5年後、10年後はどうなんだろうって考えると、会社がいつまでもあるとは限らないし、今の職種も突然異動になったりするかもしれない。このままの環境がずっと続くわけではないっていう不安感だったんだと思います」。

いつかはこの仕事を辞めて徳島に帰るかもしれないと思いながらも仕事のサイクルに追われタイミングはなく、訪れた転機は2011年3月11日、東日本大震災だった。偶然その日に吉田さんの祖母が亡くなり、15時発の徳島行きの便に乗るため羽田空港にいたという。その日は無事、徳島に降り立ち、東京がどうなっているのか心配しながら再び戻った一週間後の東京。まだ余震も続き、食糧もなかなか手に入らず、今まで過ごしていた東京とはまるで違っていたという。それは吉田さんの中にあった“東京で暮らすことの不安”をさらに増幅させることに。「徳島に帰って来なさいって、祖母に呼び戻されているような気がしたんです」と振り返る。今まで逃して来た“タイミング”はふいに訪れ、ついに、仕事を辞めて東京を離れる決心をした。

徳島に帰るなら、サラリーマンじゃない働き方を。

「サラリーマンをするなら東京で働く方が条件がいいと思います」。田舎だと職種も限られるし、好きな職業に就くなら東京の方ができるからだ。それでも、わざわざ徳島に帰るのだから、サラリーマンではない、違う働き方ができる可能性のある仕事を見つけたかったのだという。「前々からサラリーマンじゃない働き方に興味があったけれど、いきなり地元に帰って会社を起こすとかはできないなと思っていました。たまたま友人が岡山県で地域おこし協力隊をしていて話は聞いていたので、これなら任期3年の間に地元で将来の道筋を決めていきながら、おもしろいことができるかなと思ったんです」。

徳島県内の地域おこし協力隊の募集の中から、勤務先は三好市に決めた。三好市にきて最初の一ヶ月は研修期間。その期間に、役場の方と一緒に三好市の各地域を視察し、その地域で町おこしに熱心な人たちを紹介してもらったりしながら「自分がこの町で何をするのか」を考えていったという。広い三好市の中でも吉田さんが気になった地域が、現在「スペースきせる」が建つ三好市池田町だった。そこは昔、葉たばこ産業で栄えた古い町並みがあり、“うだつ”が残る場所。徳島県内で“うだつ”が残る町並みとしては美馬市の脇町が有名なのだが、ここ池田町の町並みは脇町ほど観光地化されておらず、言わばまだ手つかず。「古い中に生活感がある町並みが良いなあ」と、池田町を拠点に決め、古い一軒家での生活もはじまった。

きっとなんとか暮らしていけるなあって。生活することに自信が出てきました。

三好市で暮らしはじめて最初の印象は「同年代の人が少ないなあ」ということ。だから、何をするにも勝手が違うな、と感じたのだそう。「サラリーマンをしていたときにはメール一本で終わるやりとりでも、ここではおばあちゃんたちとやりとりすることが多いから、何か伝えようと思ったら1、2時間の長話になっちゃうことはよくあります(笑)」と、笑って話す。そういう、すんなりいかないやりとりもどこか楽しそうに見えるのは、吉田さん自身に余裕があるからかもしれない。「実家が徳島市内にあって、すぐに帰れる場所があるから気楽にいられるのかもしれないけれど。それに、三好市池田町の家は、車に乗らなくても歩いていける範囲で駅も病院もスーパーもあって、とても生活がしやすいんです。近所の人もごはんをいただいたり、協力隊の任期が終わった後のことを心配してくださったりと、みんな優しい方ばかり。東京だったら生活するために稼がないといけないラインが高いけれど、ここは過ごしやすいし、なんとか暮らしていけるかなあ、どうにかなるかなっていう変な安心感があって。生活の自信が出てる気がするんです」。

ここで働きはじめてどうですか? 吉田さんは「楽しい」ときっぱり。その言葉が嘘ではないことは吉田さんの表情で伝わってくる。「サラリーマン時代は2割のやりたい仕事のために、8割のやらなければいけない仕事をしていたけれど、今はそれが5対5という感じ。これから“やらなければいけない”仕事が増えているかもしれないけれど、自分が納得してやるならいいかなって思えるんです」。それは雇われているのではなく、自分の足で、自分の力で仕事をしていると実感しているからこそ、仕事に納得し、楽しむことができているのだろう。

ちょっとした刺激が欲しいと思うことも。その反動が力になっているのかも。

三好市地域おこし協力隊に所属して現在(取材時)約1年半。吉田さんは今、複数の肩書きを持つ人になった。三好市地域おこし協力隊のほか、築150年の町家を活用したイベントスペース「スペースきせる」の管理人、三好市近隣からおいしいものや素敵な手づくり雑貨の作り手が出店するマーケット「うだつマルシェ」実行委員事務局、三好市にある空き家活用や若者雇用促進へ向けて活動するNPO「マチトソラ」の理事。どれも地域おこし協力隊として従事する中で派生していった業務だ。今や三好市池田町のイベントや事業には欠かせない存在に。そんな中、近辺で同じようにがんばる同世代の仲間との出会いも増えてきた。「近くで同年代ががんばっていると励みになるし、ここで暮らしていく不安や悩みも言い合えることは支えでもあります」。

ちなみに不安とは? 「…結婚かなあ(笑)。あとは、ファッションとかおしゃれなカフェとか、ちょっとした刺激がないところはストレスでもあります。その反動が力になっている感じかもしれません。もう、自分たちでつくるしかないかな、と!」。NPOマチトソラの事務局でもある「スペースきせる」をカフェの営業ができるようにこれから改装する予定だと話す。いつかカフェを開きたい人たちに向けてシェアカフェのスタイルで貸し出していくのだそうだ。「そういう場所が無いから仕方なく(笑)」と苦笑いをしながらも楽しげなのは、自分の力で自分の道をつくっていく充実感があるからかもしれない。

任期終了後も三好市を生活の拠点にする予定。NPOマチトソラの目標である“古民家活用”や“若者の雇用促進”といった事業をいろいろと考えていきながら、「その時の流れで決めていこうかな」と気負わない笑顔をみせた。

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