はじめは「超恥ずかしい」名前だったのに、いつの間にか阿波踊り空港だの鬼太郎空港だのができてしまい、なんだかすっかり普通になってしまった「高知龍馬空港」。
その近くに戦争遺跡が残されていることはあまり知られていない。
その名も「掩体壕」。
太平洋戦争の時代、戦闘機や爆撃機を格納していたコンクリート製の巨大な壕だ。
戦争のさなか、高知空港はひとつの村をまるごと潰し、練習部隊のための高知航空基地として誕生した。今から考えると信じられないくらい短い滑走路の周囲にウネウネと戦闘機の誘導路が配され、屋根のありなしを含め40前後の掩体壕が設けられたという。
現在残るのは7つの掩体壕。
元々は分厚いコンクリートの天蓋の上に土を盛っていたようなのだが、現在はほとんど土がなくなってコンクリートがむき出しになっている。
残った理由は、あまりにも大きいコンクリート構造物ゆえ。

人がそばに立つとその巨大さがよくわかる。全国でも有数の巨大さ。

なかには掩体壕の中を通ることのできるものも。向こうを離陸したばかりの飛行機が飛ぶ。

まるで岩石のような生々しいコンクリート。

ここ高知の掩体壕は、よそに残る掩体壕に比べると大した保存措置が取られているわけではなく、いまや集落の中に溶け込むように、住宅地や田畑の中に自然に取り残されている。周囲の規則的な地割を無視するようにアッチコッチを向く掩体壕の違和感だけが際立ち、かつて戦闘機がいたはずの空間には農機具が置かれていたり、場合によっては道が通っていたりする。
戦争末期には、高知海軍航空隊は練習部隊でありながら特攻部隊にも仕立てられ、26機52名が沖縄で散華したという。

高知空港から少し離れた海岸沿いにはトーチカも残る。かつてはいくつかあったそうだが、現存するのはこれだけ。
(2015年3月20日追記)