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臥龍山荘

2015.7.17 

愛媛県大洲市『臥龍山荘』~粹亭崖に峙って畵よりも雅なり~

zekkei2014

伊予の小京都、大洲の景勝地

愛媛県大洲市は江戸時代、伊予大洲藩6万石の城下町として栄え、自然の山河や町並が見事に調和したその美しさから、古くより伊予の小京都と称されてきました。

臥龍山荘

ここ大洲の中央を流れる愛媛県下最大の河川「肱川」は、今も昔も大洲に欠かせない命の川です。
今よりもずっと人と川との関係性が密接だった時代、肱川は船が忙しく行き交う川の道であり、生業に必要な水を得たり魚を獲ったり産業を生み出したりと、川と寄り添い暮らす大洲の人々にとって欠かせないものでした。

さて、この大洲の町の中心に聳える大洲城から約800m東に、「臥龍」という肱川随一の景勝地があります。
歴代の藩主が愛し遊賞したこの地に、大洲出身の明治の豪商河内寅次郎が構想10年、工期に約4年を要して完成させたのが「臥龍山荘」です。
河内寅次郎は当時日本の輸出の花形産業だった木蝋の貿易商として神戸を拠点に活躍していましたが、余生を過ごすための別荘として、時代の変化とともに荒廃していた臥龍の地を買い取り、京都から職人を呼び寄せ、材を吟味し、卓越した技を用い、地方には稀な名建築を作り上げさせたのです(1907年 明治四十年 竣工)。
《愛媛》内子町で200年続く職人技、和ろうそくのつくりかた[大森和蝋燭屋]

臥龍山荘

臥龍山荘はそれぞれ数奇を凝らした臥龍院知止庵不老庵の三つの建物と庭園からなる山荘庭園です。
周囲の山々や肱川も借景として庭園の一部に取り入れています。自然と人工、質素さと贅沢さなど、まったく異質なものを見事に調和させているところが臥龍山荘の特徴です。
また、欄間の透かし彫りや、円窓、柱や釘に至るまで建物内の細工や配置は、細部まで深い構想を元に計算されています。それらのほとんどは、一見して気づきにくいものばかりですが、その意味に気づくものすごく強調されて見えてくるのが不思議です。

臥龍山荘

写真の左半分の石積みは、横長の石を積んで肱川に見立て、左端のくぼんだ石が船、右上の石臼は月に見立てています。現在でも楽しまれている肱川の観月遊覧を表現していると言われています。写真右半分の石積みは、石積みを築く以前から生えていたチシャの木を石積みの中に残し、石積みも崩れず、木も生きたまま共生しています。

臥龍山荘

主屋の臥龍院には、お茶の千家御用達の職家「千家十職」と呼ばれる名工達が築造に携わっています。それゆえに建物全体がお茶の道具とも表現されたりしますが、所々に記された名工達のサインを探したり、趣向を凝らした細工をひとつひとつ確認するだけでも楽しめます。
写真の花筏をモチーフにした欄間の透かし彫りは建物の外側から撮影しています。これが内側からだとどう見えるのか・・・想像していみください。

臥龍山荘

臥龍山荘の三つの建物の中でも頻繁に写真などで紹介されるのが数奇屋建築の傑作といわれている不老庵です。建物の半分以上が崖の上から迫り出すようになっており、京都の清水寺のような掛け造りという工法で造られています。臥龍山荘の中でも最も眺望のよい場所で山や川が一望のもとに見渡せます。
また、対岸から眺める不老庵は周囲の自然と見事に調和し、足元の肱川では今も昔も川船が往来するのでまるで山水画のような風景です。

臥龍山荘

不老庵の天井は竹を複雑に編み込んだ網代一枚張りで、緩く丸みを帯びています。実はこれは仲秋の名月の月光を、肱川の川面に反射させ天井に映すという巧妙な趣向なのです。天井に映った月明かりは川の流れとともに揺れるのですが、これを確認したときになぜこの不老庵が崖から突き出して建てられたのか、なぜ天井を竹の網代張にしたのかが理解できます。

そしてこの不老庵の裏側には一本の生きた槇の木があります。100年以上太りもせず、上にも伸びず、横にだけ伸びてこの不老庵と共生しているこの槇の木は、不老庵を建てるときに基準として使われたといわれています。最近の調査でこの槇の木は、仲秋の名月の月明かり取り入れるために月との位置関係を合わせた基準の木だということがわかってきました。

臥龍山荘

高い文化的、技術的レベルがあり、明治という自由な時代に造られた臥龍山荘は実験的、挑戦的な建物だという専門家の方もいます。

大工の棟梁に抜擢されたのは当時30歳の若さの中野虎雄。彼は代々大洲藩の作事方棟梁を務める家に生まれていますが、この若い棟梁はこの仕事をするにあたり京都に何度も足を運び技術を学んだようで、それに施主河内寅次郎がかかわっていたのは間違いありません。
新しい技術を積極的に学び、自由な発想でのぞんだ中野虎雄は、施工に関わった七年間でまず不老庵を建て、次に千家十職や京都の大工達をまとめ上げ主屋の臥龍院を完成させました。その後も中野虎雄は愛媛県内各地に名建築を残しています。日本建築の粋を結集して築かれた臥龍山荘が地方に生まれたのは、明治という特別な時代があったからなのかもしれません。ここで臥龍山荘について紹介できるのはほんの一部なので、ぜひ実際に足を運んでみてください。人によっては何も感じないかもしれませんし、人によってはめまいを起こす程の情報が入ってくるかもしれません。

愛媛県大洲市 臥龍山荘

http://www.garyusanso.jp/
9:00~17:00(16.:30札止め)
年中無休
大人500円・小人200円(中学生以下)・保護者同伴の5歳以下は無料
大洲まちの駅あさもやから徒歩7分

臥龍山荘

嗚呼絶景四国哉。(26〜) 12


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