四国は、どこまで行っても人が住んでいる
四国の山奥は、どこまで行っても人が住んでいる・・・もしくは、かつて人が住んだ痕跡がある。
実際に車で走ってみても、地図上で川の源流や道の果てを辿る「旅」をしていても、
毎度のように驚かされるのが「どこまでも人が暮らしている」その事実なのだ。
下の写真は大豊町にドンと聳える梶が森山頂から東北側の吉野川方面を見たもの。
ご覧の通り山の中腹に家や集落が点在し、にぎやかに田畑が広がっているが、この谷あいにこれだけの集落や家が広がっていることは、国道や鉄道で走っている限り理解しにくい(試しにストビューで32号線を走ってみてほしい)。
なぜかといえば、これらの集落は山腹からスプーンで土地を掬ったようにすべりだした「地すべり地」の上に成立していて、その土地よりも下に位置する吉野川沿いを走る国道や鉄道からみると死角に入りやすいからだ。
地すべりとは、不安定な土塊がズルッとすべることで「落ち着く場所」に安定化しようとする現象だ。
それゆえに、地すべりは「すべりはじめたら」まさに未曾有の大災害となるのだが、「もうすべった」ところはひとまずは安定した地盤を構成する。
そして、地下水が影響してすべることが多いぐらいだから地すべり地は水も豊富で、すべった時に土が「シャッフル」されているから肥沃な土壌を形成していることが多い。
結果として、地すべりは谷深い山間部に「使い勝手がよい緩やかな斜面を持っていて、しかも水も土も上等」な土地を生み出す。おそらくこの写真で見えているほとんどの集落は地すべりの上に位置しているはずだ。
御荷鉾帯の巨大棚田
四国の山奥にどこまでも集落がのびているのは、日本最強の活断層である「中央構造線」と「仏像構造線」の間に三波川帯や御荷鉾帯などの破砕帯と呼ばれる脆い地盤が広がっており、そのことに起因する地すべり地形を無数に抱えているからだ(図1の赤丸は地すべり地を示しており、ピンク色は三波川帯、そのすぐ下にくっついている細長い朱色が御荷鉾帯である)。これらの地すべり地は、大雨や地震の度に大きな災害に見舞われやすい一方、先ほども書いたように水が豊富で耕作適地でもあることからどんな山奥であっても集落がのびていく。
さらに・・・四国山中にたくさんの集落を生み落としてきた三波川帯と御荷鉾帯も、またそれぞれに個性が異なる。
大豊町の大規模な棚田である怒田・八畝について記したある論文では、こんなことが書かれていた。
この地区の土地利用をみてみると、同じ地すべり地でありながら、左右両岸が異なっており、左岸の西川、八畝、怒田、三津子野地区は棚田が主で畑地が少ないのに対して、右岸の川井・中内・野々屋地区は畑地が主で棚田は若干みられるにすぎない。その理由として、左岸は傾斜がやや緩やかで、御荷鉾帯の緑色岩類からつくりだされる土壌が粘土質で保水性に富むのに対して、右岸は傾斜がやや急で、三波川帯の結晶片岩類からつくりだされた土壌がローム質で保水性が劣ることによるとしている。つまり、土壌と傾斜が棚田形成に関係があることを強調している
ー日本の棚田―保全への取組み(中島峰広著)
なるほど、確かにこの地域の地質図を見てみると大規模な「米作を行う」棚田はいずれも御荷鉾帯に存在していることがわかる。棚田はいずれも国道439号線(オレンジ色の線)が走る吉野川の谷筋よりも南側の山の中にあり、到達するためにはいずれも起伏やカーブに富んだ1車線路を走らなければならない。
険しい山道が突然開け、棚田が見えてくれば・・・そのあたりが三波川帯と御荷鉾帯の境界線、なのかも知れない。。。
さて、嶺北という高知県でも特に山深いこの地域の、さらに中心集落から遠く外れた山深くに突如あらわれる棚田たちの特徴は、いずれも高須と相川、溜井と伊勢川、大石と吉延、八畝と怒田といったように、南から北へ流れる吉野川支流の左右両筋でセットになるように成立しているということだ。しかも、それなりの標高を持つ谷の両側に棚田ができるので、大きく開いた谷いっぱいに棚田が広がりやすい。
結果、とても雄大。
これは・・・見ておいて損はない。
そんな景観。
というわけで、これから毎週木曜日、全5回くらいの感じでしばし小連載します。
来週は本山町の吉延・大石の棚田をご紹介。