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2015.3.24 

硬い、そしてでかい!! 祖谷のお豆腐「岩豆腐」《徳島》

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もはや岩豆腐は「祖谷の肉」だと思う。

「畑の肉」。

これは大豆についてよく言われる言葉ですが、祖谷で豆腐(原料はもちろん大豆)を食べていると、この言葉が何だか身にというか口に沁みてグッと来てしまうのです(個人的に大好物だというのもあり)。

「畑の肉」というコピーは、元々は大豆に肉に匹敵するほどの栄養分(主にタンパク質)が含まれていることをドイツの人が言い表した言葉だそうですが、祖谷におけるその意味は、もっと根源的というか精神的な意味で大豆は畑の肉なんだと思えてきます。祖谷の人たちは本当に豆腐をよく食べますし、もはや祖谷における豆腐の立ち位置を見ていると、「大豆」=「豆腐」=「祖谷の肉」といってもいいんじゃないかと。

事実、祖谷ではその食べ方も肉と遜色ありません。BBQの時などは、必ずと言っていいほど豆腐をそのまま網で焼いて食べますし、焼き鳥よろしく串に刺して焼き、味噌ダレで食べるという「でこまわし」という郷土料理もあるぐらいです。

そんな「豆腐(大豆)」=「祖谷の肉」説を前々から考えていて、いずれは祖谷の豆腐作りもじっくり見てみたいと思っていたのですが、今回、すでに3代続く創業70年以上の老舗豆腐屋さん「吉田豆腐店」の取材をしているうちに、その思いをより一層持つに至ったのでした。

そして、そんな祖谷の肉としての豆腐が、今後どうなっていくのかということも同時に。

「でこまわし」は岩豆腐だけでなく、祖谷名産のごうしいもやコンニャクを串刺しにして焼く、「焼き系」の代表的な料理。

「でこまわし」は岩豆腐だけでなく、祖谷名産のごうしいもやコンニャクを串刺しにして焼く、「焼き系」の代表的な料理。

“岩豆腐”は硬い、そしてでかい。

まずは祖谷の豆腐について。
祖谷でいう豆腐というのは、昔から作られている”岩豆腐” (表記上”石豆腐”と書かれる場合もあり)と呼ばれる、その名の通り大きくて硬い豆腐です。

日本の豆腐の歴史を紐解いてみると、基本的には口当たりが滑らかで柔らかくお上品な豆腐を良しとして作られてきた歴史があるようですが、祖谷ではまったく違いました。なぜそうなったのかといえば、いろいろな要素があると思いますが、一番はその険しい山間の立地だと言われています。なんせ、そんなきれいで柔らかい豆腐を作っても、険しい山道を歩いて上り下りしながら運搬しているうちに崩れてしまっては何にもならないからです。

そして、・・・・祖谷の豆腐はとにかくでかい。
一般的に豆腐一丁の単位は300〜400g前後(地域によって異なる)ですが、祖谷の岩豆腐はその2倍で約800g。大きさは3辺ともおおよそ10cmの立方体になります。

その硬くぼってりとした、ロース肉の塊を彷彿とさせる圧倒的な佇まい。
この「畑の肉」大豆の塊こそ、祖谷の肉、岩豆腐なのです。

豆腐を圧搾させる水切り器で一度に作られる分量は15丁分、その重さは12kgにもなる。15丁箱と呼ばれる箱の大きさで作られた豆腐は、2丁分の大きさで7つと1丁(写真の真ん中下)という合計8片に断裁される。

豆腐を圧搾させる水切り器で一度に作られる分量は15丁分、その重さは12kgにもなる。15丁箱と呼ばれる箱の大きさで作られた豆腐は、2丁分の大きさで7つと1丁(写真の真ん中下)という合計8片に断裁される。

岩豆腐の歴史

戦前頃まで、祖谷で豆腐といえば各家庭の畑で栽培した大豆から作られるオール自家製の貴重品でした。お正月などの節目の日には、各家庭で豆腐がつくられていたそうです。そして、もちろん今でもそうですが、畑から採れる貴重なタンパク源だったのは間違いありません。現金収入も少なく、しかも街に出るには一日がかりというような山奥の秘境と呼ばれる祖谷では、原料の調達も製品としての豆腐の購入もなかなか難しかったのは当然でしょう。

それが戦後期になって人口が急増してくると、祖谷には新たに数件の豆腐屋さんが生まれ、各家庭から持ち込まれる大豆を元に豆腐が作られるようになります。つまり、自分で育てた大豆を豆腐屋さんに供出する対価として一定量の豆腐を作ってもらうという、手間賃(仕賃(しちん)といっていたそうです)込みの物々交換です。

その後、道が整備され車も普及してきた70年代頃からは、外部からの大豆の大量調達や豆腐の配達も可能となり、今のスタイル(店頭直売と、主に小売店や飲食店、ホテルなどへの配達)になりました。

大豆は6kgずつ豆乳プラントに投入、大体2杯(12kg)で15丁分の豆乳ができる。

大豆は6kgずつ豆乳プラントに投入、大体2杯(12kg)で15丁分の豆乳ができる。

岩豆腐作り

さて、そんな祖谷の肉としての岩豆腐。

ここからは、今回取材させて頂いた「吉田豆腐店」さんの岩豆腐にまつわる仕事をお伝えしたいと思います。

肉同様生もので、新鮮な作りたてが何よりおいしい豆腐作りは、もちろん朝早くから始まります。まだあたりは薄暗い早朝5時45分、吉田豆腐店には続々と地元の4名の女性の皆さんが出勤してきます。
そのうちの一人、3代目としてこのお店を切り盛りするのは宮西純子さん。
創業から数えて70年以上たった今でも「昔から豆腐作りは女の人の仕事」と話すように、創業時のおばあちゃんとお母さんの代から、今でも主に祖谷の女性の皆さんが豆腐作りを支えています。

岩豆腐の製法は、いわゆる木綿豆腐の製法になります。
かつては豆を挽き、豆乳を取り、にがりを入れて固めるまで全て手作業で行っていました。
今では27年前に導入した豆乳プラント(豆挽きから豆乳とおからを分離させるまでを自動で行う)や、豆腐を圧搾させる水切り器などによって作業はほぼ機械化されています。
ただ、その過程の中でも手作業の部分となる、にがり入れる分量やタイミング、水切りの程度などによって硬い岩豆腐になるのだといいます。

そして、豆腐の風味を決める最も重要な要素は水だそうです。
今回強く感じましたが、豆腐は製造のあらゆる段階で本当に大量の水を使います。お店の中では、ずっと水を出しっぱなしです。
また、いくら岩豆腐が硬く圧搾して水気が抑えられた豆腐だとはいえ、水分を多く含む食べ物なのです。
吉田豆腐店では、この水をすべて店の背後の山奥から止めどなく流れる祖谷の良質な山水でまかなっているため、おいしい豆腐が作れるということです。

平成元年から使用されている豆乳プラント。

平成元年から使用されている豆乳プラント。加水しながら大豆が自動で磨砕、加熱され、豆乳とおからが作られる。

豆乳ができたら、にがり(塩化マグネシウム)を加えながら時折木べらでかき回しながら15分〜20分かけて固めていく。

豆乳ができたらにがり(塩化マグネシウム)を加え、時折木べらでかき回しながら15分〜20分かけて「寄せ豆腐」の状態まで固めていく。

敷き布を敷いた15丁箱に流し込んだ寄せ豆腐を圧搾器に入れて水分を抜いていく。

敷き布を敷いた15丁箱に流し込んだ寄せ豆腐を圧搾器に入れて押し込み、水分を抜いていく。

豆乳プラントでは絹ごしを作る「キヌ加水」モードや、油揚げを作るための「アゲ加水」モードにも対応している。

豆乳プラントでは絹ごしを作る「キヌ加水」モードや、油揚げを作るための「アゲ加水」モードにも対応している。

岩豆腐の配達

つくり始めから3時間後の午前9時。出来上がった豆腐はケースに載せられ、そのまま配達されていきます。この日の出荷数は全部で100丁あまり。
「入荷を待っているお客さんがいるから開店に遅れるわけにいかない」と、今回配達に同行させて頂いた運転手の喜多さんは話してくれました。祖谷の吉田豆腐店から車で片道1時間あまりの池田町にある配達先のスーパーでは、岩豆腐を気に入っていて、週1回ある入荷日のオープンと同時に買おうと待っているお客さんがいるとのことです。

でも、今では車があるとはいえ、配達の道のりは大変なのには違いはありません。
大量生産の豆腐とは違い、個別にパック詰めされていない裸の状態の豆腐を乗せてアップダウンとカーブの多い山道を走れば、もちろん配達中に崩れてしまう恐れがあります。
そう、今も昔も運搬中に崩れにくいという岩豆腐は、その硬さを発揮しているというわけです。

そして、やはり重要なのが鮮度の問題です。出荷数が多い時は、配達は出来た順に分けて2往復することもあるそうです。
もちろん配達先の範囲にも限界があって、最も遠い配達先でもおおよそ所要1時間半程度の池田町界隈の場所だとのこと。交通網が発達し、機械化が進んだ現状の生産体制でも、やはり祖谷の岩豆腐を食べることができるのは遠くても池田町付近までだということなのです。

配達のため車に載せられた豆腐。同じく吉田豆腐店で作られている手作りコンニャクも一緒。

配達のため車に載せられた豆腐。同じく吉田豆腐店で作られている手作りコンニャクも一緒。

豆腐店から30分あまり、JR大歩危駅前にある小さな名物スーパー「歩危マート」さんに配達。すぐさま縄で結んだ豆腐がお店の前に。

豆腐店から30分あまり、JR大歩危駅前にある小さな名物スーパー「歩危マート」さんに配達。すぐさま縄で結んだ豆腐がお店の前に。

岩豆腐の今後

さて、これまで長々と岩豆腐=祖谷の肉について書いてきましたが、どうしても考えてしまうのは今後のことです。
吉田豆腐店のある東祖谷地域の人口は、今では最も多かった昭和30年代の6分の1、約1,500人程度(2015年2月末現在)になっています。圧倒的に豆腐の消費量、生産量が減っていることは言うまでもありません。

現状では、遠くても池田町付近までしか配達できない岩豆腐の未来はどうなるのか?
なんとかもっと遠くのお客さんまで届けられるように出来ないだろうか?
そして、今後の生産者の担い手は?

というようなことを考えていても、やっぱり岩豆腐は美味しい。
取材終わりに宮西さんが「これが一番美味しい食べ方」だと、昔から吉田豆腐店で愛されているやり方で湯豆腐を作ってくれました。昆布を浮かべた土鍋、そこにダシ醤油と柚子の皮、いりこ、かつお節、ネギを入れた器も入れて同時に温め、ここに温かい岩豆腐を入れて食べる。

湯豆腐にしても身崩れせず、コシと弾力のある岩豆腐。
ずっと暖房を効かせることが出来ない寒い豆腐屋さんの中にいた身に沁みて、うん、やっぱり祖谷の肉だなと思いました。

最高の湯豆腐。本物の肉はもういらないんじゃないかというほどのおいしさ。

最高の湯豆腐。本物の肉はもういらないんじゃないかというほどのおいしさ。

吉田豆腐店

今回取材させて頂いた吉田豆腐店さん。
岩豆腐だけでなく、同じく祖谷の名物である昔ながらの手作りコンニャクも作っています。

住所
徳島県三好市東祖谷京上16番地
営業日・時間
月・木・土曜日 早朝〜12時頃まで(日によって異なる)
お問い合わせ先
電話 0883-88-2018
営業時間外 0883-88-2325
Email yoshida.tofu@gmail.com

徳島県三好市東祖谷京上16番地

朝靄の中、今日も豆腐作りが始まった。

朝靄の中、今日も豆腐作りが始まった。


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