ご当地グルメブームである昨今、パンも例外でなく、その土地ならではの「ご当地パン」という存在があります。ここ高知県にもやはりご当地パンはありまして、代表的なのは帽子の形をした「ぼうしパン」。そして、カツオや特産の野菜を使ったニューフェイスも続々登場しています。
それらはもちろんおいしいのですが「ちょっと待って」と手を挙げたい。私をはじめとする、ある一定層の高知県民の魂を震わせる「裏ご当地パン」があるんです!それがこちら!
高知市・永野旭堂本店が作る「ニコニコパン」です。
誕生して、もうすぐ60年。
昭和2年に創業した県内屈指の老舗パン工場「永野旭堂本店」。二代目社長・永野雄敏さんに、ニコニコパン誕生秘話をうかがいしました。
戦争の影響や材料が乏しかったことから自由にパンを作れる状況になく、パン工場が何箇所かに集約されていた時代を経た昭和25年以降、県内には徐々にパン工場が増加。高知のパン業界は活気づいていたそうです。
「パン1個10円だったのが13円へ値上げされても売り上げが落ちず、感謝の気持ちを込めて昭和31年には高知県の製パン組合が『パンまつり』を開催してね。飾り立てたトラックに、白衣を着た従業員が乗り込んでパレードしたり(笑)」
パンの需要も急増して、それぞれのパン工場が競って新商品を発売する開発合戦がスタート。「採用になれば賞金を出す」というところもあったそう。毎月数多くの新製品が誕生するも短命に終わるパンが多いなか、わずかに生き残るパンがありました。その一つが「ニコニコパン」です。
「パンの開発が進むと同時に、パンに使えるいろいろな材料も入ってきた。そのなかで出回り始めたのが『マーガリン』。でも、そのままじゃおいしくないから砂糖を混ぜよう!という具合で生まれたのが、ニコニコパンのあのクリーム。で、クリームが白いからそれに似合うのは色の濃いパンだ! と茶色のパンになったんです」
パン業界が「イケイケドンドン」の時代だったことを反映するような、勢い満点の誕生秘話。ちなみに、発売当初はねじった形のパンだったそうですが、あまりにも売れすぎてねじる作業が追いつかなくなり、今のシンプルな形になったとか。社長は小さい声で「そこはちょっと手を抜きましたね」と冗談めかして言いますが、ニコニコパンは本当に手抜きをしていては作れない、こだわりの詰まったパンだったのです。
端から端まで、きっちりと。
先に登場した高知の代表的ご当地パン「ぼうしパン」も実は永野旭堂本店が発祥。ニコニコパンとほぼ同時期に誕生しました。
ぼうしパンは人気が出るやライバル社も製造を開始し、今や県内のパン屋では”見かけないのが珍しい”ほどの定番パンへ成長。勢力を拡大した理由の一つには、「ライバルにも作り方をどんどん教えた」という、同社のフシギな懐の深さがあると思います。
一方、ニコニコパンはぼうしパン同様人気商品だったにも関わらず、類似商品を県内で見かけません。それはどうしてか?その理由にこそ同社のこだわりがあります。
材料が乏しい時代は、パンに入れる餡子やクリームなどは「自社で作る」のが当たり前でした。ところが、パン需要が高まるにつれ食材メーカーの技術が高まり、マーガリンひとつとっても多彩な味付きのものが簡単に・安価に手に入るようになったのです。社長は「パン工場が独自にクリームを開発をしなくてもよくなったから、ニコニコパンに似た商品が生まれなかったんじゃないか」と分析します。
「うちは『自分とこで作る』のがモットー。クリームも自分とこで混ぜて作る。毎日作ればいいから日持ちせんでもかまん。日持ちせないかんとなると、添加物など工夫をせないかんけど、それに頼らんでもいいし、その分値段も抑えられる。添加物というのは、ちょっと入るだけで苦味が出たりもしますからね。入れんかったら味も変わらん。それがうちの良さじゃないろうかと思う」
同社では、今もクリームを自社で製造。ニコニコパンのクリームはマーガリンに同量の砂糖を合わせ、空気を含ませながら混ぜ込むことで、ふわふわだけど砂糖がジャリジャリ鳴る独特な食感を生み出しています。この食感がなんともクセになるんですよね~。
で、そのクリームの「絞り方」にもこだわりがありました。
工場で働く約30人の従業員のなかで一人、毎日ひたすらクリームを絞るだけの役割を担う人がいるのです。それは入社して10年以上になる男性従業員さん。平均して1日700個は絞る、いわばニコニコパンのクリーム職人。とても柔らかいクリームのため力加減が難しそうですが、それは「慣れればコツが掴める」と言います。それよりも大変なのが「端から端まできっちり絞る」ことなんだそう。それが出来ていないと、役員でもある社長の奥様からダメ出し電話がかかってくるとか…社長、本当ですか?
「本当ですよ(笑)多すぎるとパッケージに付いてしまうから、付かん程度に端から端までたくさん絞るんですが、これが難しい。一度機械を導入したこともありますが、パンの端にまでクリームが入らないので、結局『人』に戻りましたね」
奥様がクリームを厳しくチェックするのは、やはり多くの人に愛されているパンだから。ニコニコパンは長年ぼうしパンを抑えて同社の売り上げトップに君臨。端から端まできっちり絞られたクリームには、「ファンを裏切れない」という思いがあるんですね。
ニコニコパンは永久に不滅です!
私が今回ニコニコパンのことを書きたいと思った理由。それは、これこそが高知で生まれ、高知で育った私の「青春の味」だからです。
初めて出会ったのは中学生時代。通っていた学校は基本的に「昼はお弁当」で、持参できない生徒には購買パンが用意されていました。そのパンこそが永野旭堂本店のものでした。
朝、いくつかあるパンメニューの中から自分が食べたいものを選んで注文するスタイルだったのですが、そのメニューの中にニコニコパンはありませんでした。なぜかニコニコパンは注文したパンが足りない時に突然現れる、超レアな存在だったのです(おそらく学校によって違っていたと思います)。
ニコニコパンが現れるとパンを注文した生徒はザワつき、静かな争奪戦がスタート。こういう時ってやっぱり、クラスでちょっと目立ってる生徒が優位なんですよね。引っ込み思案だった私はなかなかゲットすることができず、結局3年間一度も食べることができませんでした。そして、私の青春は「ニコニコパンってどんなパンなんだろう…」と妄想を膨らませるに終始するのです。
社会人になり、それなりのお金を手にして自由に買い物へ行けるようになった私の前に現れたのが、あの時食べたくて食べたくて仕方なかったニコニコパン!あの時となんら変わらないゴキゲンなパッケージに胸は高まりました。パンを潰さないよう優しく手に取り、レジを済ませたらもうむさぼるように食べました。これが私の味わいたかった青春だぁあああ!ってな具合に。
まぁ、私のようにちょっと歪んだ愛情を抱えた人は少ないでしょうが、やはり「ニコニコパンは青春の味だ!」という高知県民はけっこういます。なぜかというと、かつて同社は高知市をはじめ土佐山田町から須崎市までの学校配送ルートを持っており、給食パンや購買パンとして1校で1日1000個ほど売り上げていた時期もあったとか。「ニコニコパンには学生時代、お世話になった」という高知県民も多いのです。
しかし、最近ではコンビニで昼食を買っていく学生が増加。さらに学食を食堂業者に委託するケースも増えて、学校でのパンの販売数は激減。ピーク時に比べると1/10ほどにまでなっているそう。ニコニコパンをはじめとする購買パンの話題は、年代問わず盛り上がれるものだな~と思っていたのですが…少しさみしい気持ちになります。
ただ、最近では県外からの注文が急増。なんでも「高知出身の知人からニコニコパンのことを聞かされて食べたくなった」と注文してくる人が多いそう。きっと高知出身者が自慢げにニコニコパンのことを語ってるんでしょうね。地元大好きな高知県民らしい勢力拡大方法で、とても頼もしく感じます(笑)
パッケージも味も変わらずいてくれるニコニコパンは、私にとって高知の風景の一つです。取材の最後に、思わず社長にお願いしてしまいました。「ニコニコパンはぜひ残してください」。社長の答えは…
「そりゃ大丈夫よ!」
その時の嘘偽りない笑顔。ニコニコパンのパッケージにいるお花にちょっと似ていたかも。
永野旭堂本店
高知市南川添23-1
電話 088-884-9300
※ニコニコパンは高知県内の各スーパーなどで販売中
※通販も可能
直営店「リンベル」でも購入可(こちらはイートインもできます)
高知市永国寺町1-43
電話 088-822-0678
営業時間 7:00~18:00
日曜・祝日休み
駐車場5台