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四国大陸について

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4item

「ウエブマガジン四国大陸」とは、

四国で起きる日々の様々なできごと、食、暮らし、自然、

風景、仕事、歴史などなど、

四国の秘やかな魅力を記録・発信するべく

四国在住の20〜40代のメンバーで運営しているサイトです。


四国大陸のめざすところ

私たちは四国に住んでいます。

でも、たまに東京や大阪といった都会へ行くと、四国のことの「知られていないっぷり」にがっかりすることがあるのです。もちろん皆が皆というわけではないのですが、確率的には6割7割の確率で、「ああ、知られてないんだなあ」って思う羽目になるのです。

たった四県しかないのに、四県の位置関係を答えられる人は少なく、オーストラリアと形が似ているということだけで子どもの話題に一瞬だけなる島。聞いたことがあるものといえば、うどんとポンジュース、阿波踊りに坂本龍馬といったところで、それ以外はよくわからない。まあ要は教科書で習った範囲でしか、四国のことを大人になった今でも知らない人が多いように感じるのです。

とまあこんな目立たな〜い島なのですが、それでもどっこい400万人がこの島では生きています。

この「webmagazine四国大陸」は、この四国という島で生きている若い世代の人々が、いったい何に喜びを感じ、何に怒りを覚え、何に悲しみを覚え、何を楽しんでいるのか、そのことをただありのままに伝えるために、四国に暮らすメンバーたちで立ち上げたサイトです。

四国で生きる人々に、風景に、仕事に、食べ物に、もっともっと光を。目立たなくても、結構面白いことをやっている人が四国にはいます。楽しい場所もあるし、美味しい食べ物はいくらでもあります。ただ、そのことを四国に興味のある人、暮らしてみたい人、そして何より私たち四国の人間が知ることのできるプラットホームがなかったんだと思います。

「webmagazine四国大陸」は、そんな四国のプラットホームの一つになりたいのです(いずれ)。

文章であったり、写真であったり、動画であったり、伝え方はいろいろ出てくると思います。書き手は全員がそれぞれ別の仕事を持っているので、決して上手な文章や写真ではないかも知れませんが、どうか気楽に読んで、楽しんでもらえたらと思います。

はじまりは、2005年。

高松で編集を生業とする小西智都子と、高知でデザインを生業とするタケムラナオヤ。

この2人が出会ったのは今から8年前、2005年のこと。当時、小西は高松の街中にアジトを構える人々を追う「TAKAMATSUまちなかアジト×リノベーション」という冊子の編集を手がけ、タケムラはずいぶん遅れてやってきた開発の中で消えていく建物や風景を記録する「高知遺産ー失う前に、もう一度」という自費出版の編集とデザインを手がけていました(絶版)。

偶然にも似たような試みをしていた小西とタケムラは、高松の友人の家具店「dodo」の引き合いで出会うことになり、その年の夏には高松で2つの本を並べて地方都市の暮らしや風景を語り合うセッションを設けるに至ります。まあそれでも高松と高知はそれなりに距離があるのでその後は何にも繋がらなかったのですが、以後もたまに高知や高松で盃を重ねては「何か四国でやろう」ということを話しあってきたのです。

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そして、東日本大震災。

2011年春。東日本大震災が東北地方を襲いました。東北はもちろん、首都圏までが機能を停止したこの出来事は、遠く四国の人間にとっても他人事ではありませんでした。いずれやってくる南海地震は、最悪の規模であれば四国はひとたまりもない被害を受けます。

しかも、34mの津波だ、いやそれ以上だと、正直無責任にも思える地震学者たちの次から次へと出てくる四国にとって「最悪の想定」は、まだ来ぬ災禍への恐怖心で私たちをゆっくりと包み込んでいっているようにも思えます。

ですが、それでも私たちはこの四国に暮らしていますし、これからも暮らし続けようとしています。この土地に生まれたからなのか、親がいるからなのか、ただ偶然なのか惰性なのかは分かりません。ただ、これまでそこまで深く考えることのなかった、「四国に暮らす理由」と向き合う時間を与えてくれているようにも思えるのです。

震災から2ヶ月の後に訪れた仙台と石巻では、破滅的に破壊された場所からほんの少し離れただけでいつも通りの日常の風景が広がっていました。新幹線の窓から見た福島は、かつてのイメージ通りに豊穣で幸せな農村風景そのものでしたが、ほんの少し行けば立入が許されない土地が広がっています。

それでも、人々は元の土地で営みを再開しています。よその人間が色々と言ったとしても、その土地の人々はまたその土地で暮らそうとしているのです。

東北の被災地と四国を同列に並べることはできません。でも、「なぜこの土地に住まい続けるのか」という問いが鮮明に見えたのも、また震災のひとつの結果だと思うのです。

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2011年5月9日、宮城県仙台市の光景。(写真:タケムラナオヤ)

何か、四国でしたい。

そんな思いを抱えた2011年の夏、徳島のメンバーが小西と高松で、タケムラと高知で偶然に出会います。もともと徳島はなぜか両名とも知り合いが少なく、四国全体で何かする!と言っても「徳島が・・・」という問題があったのですが、これが一気呵成に解消されてしまったのです。

香川、高知、徳島、愛媛。
これでそれぞれの県に暮らすメンバーが出そろいました。

「何か、四国でしたい。」

集まった18人のメンバー同士でこの曖昧な「したい」が共有できてしまい、初秋にはついに高知の居酒屋で鰹を食べながらの宴会を開催。以来、約1年半にわたり、毎月のように四国各県から結局総勢18名となったメンバーがどこかで集うようになり、ひとつどころかバラバラな四国各県の文化や仕事、風景を記録し、そのことを通じて四国の生き方を考える本、その名も「四国本」を作ろうと話し合うようになっていったのです。

・・・しかし、本をつくるのはなかなか大変です。メンバーはそれぞれ仕事でデザインや編集、ウエブ、企画、調査といった仕事に携わっている者ばかりなのですが、膨大な四国の情報を前にすると「実際に本をつくりはじめる」手がかりがなかなか見つけることができません。やることがあまりにも多すぎるのです。

そこで、本をつくる前に、この一年半の間に議論し自慢しあった偏愛に充ちたそれぞれの地元の「ネタ」を糧に、メンバーが取材と記述を延々と重ねてゆくサイトをつくろうということになりました。

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四国は、私たちにとって果てしなく大きい。

四国はよく小さな島と言われます。実際、面積でみれば九州の半分くらい、経済規模も人口も日本全体の3%足らず。世界的な観光地も大都市もないわけで、数字だけを拾い上げれば実につまらない、「取るに足らない」島でしかありません。

しかし一方で、この島に暮らす私たちにとって、四国は決して「小さい」とは思えないのもまた確かなことです。

この島は、私たちにとっては大陸そのものです。山を一つ越えれば言葉が変わり、海沿いを辿れば獲れる魚が次から次へと変わり、川を遡れば家の造りが変わります。言葉、風習、職業、風景、性格、食事・・・果ては人の顔つき、金遣い、遊び方に至るまで、四国は訪ねる場所ごとにちらりちらりと奥の深さを垣間見せてくれます。

もはや、「大陸」。「島」というには多様性がありすぎる(生態学的には「島」こそ生態系の坩堝ではありますが)。「四国大陸」の名前は、こんな理由でふと思いつき、決まったのです。

「webmagazine 四国大陸」では、そんな四国の奥の深さを、四国に暮らす20-40代の私たちが探し求めながらひとつひとつアーカイブしていきます。最初のうちは記事もとても少ないわけですが、一年、二年と記録と記憶を重ねていく中で、サイトに辿り着いた方一人一人が「四国はまさに大陸だ」と感じていただくことができればと思います。そしていずれ、このサイトの成果を一冊の本にまとめていきたいと思っています。

さいごに。なにがしかのネタやヒントがありましたら、ぜひ四国大陸のfacebookページからコメントをいただけましたら幸いです。

編集長 タケムラナオヤ

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