競演場ができるまで
よさこい祭りが近づくといつの間にか出来上がっている競演場や演舞場。看板や提灯が飾り付けられているのを見て「あぁ、もうすぐよさこいか」と実感することもあります。でも、その準備をしている光景って意外と知らない・・・そこで今回は、競演場が出来るまでの裏側を追ってきました。
おじゃましたのは第1回よさこい祭りからある梅ノ辻競演場。
高知のよさこい祭りの競演場や演舞場は、商店が並ぶ通りや大きな施設が近くにある場合がほとんどですが、ここはちょっと違っていて商店はほんのわずか。住宅街と表現するのが正しいような場所ですが、よさこい前になると慌ただしくも賑やかな雰囲気に包まれます。
立っているだけで汗が噴き出るような蒸し暑さになった7月25日土曜。
この日は競演場の顔ともいえる「門型」の設営が行われていました。男性陣が力を合わせて、重い鉄パイプを6メートルほどのやぐらに組み立てます。
ここに取り付けられるのは梅ノ辻のシンボルカラーであるピンクの垂れ幕です。特に打ち合わせをした様子はありませんが、ベテラン風の方がテキパキと指示を出し、自然に役割分担が生まれていました。
そして、女性陣が手にしているのは、梅ノ辻競演場の特徴でもある万国旗。
バラバラの状態のものを凧糸に結びつけて4車線分をまたぐ長さにしていきます。本来は一週間前に行う作業でしたが台風のため延期となっており、大急ぎでの作業となってしまいました。
万国旗は南国土佐の強烈な紫外線に焼かれ、ひと夏の使用でボロボロになってしまうため毎年新調するのだそう。一人の女性がこう言いました。「手間もお金もかかるけど、新しい方がやっぱりいい。踊り子さんも観客の人も、ワクワクとした気持ちになってくれるろう」。
翌26日日曜もジリジリと太陽が照りつける真夏日に。この日は朝から万国旗の取り付け作業。
踊り子が踊る全長約200メートルの道路だけでなく、周辺の歩道などにも取り付けてよさこいムードを盛り上げます。
そして、忘れてはならないのが「梅」です。
多くの競演場や演舞場では、踊り終わった踊り子さんにお接待が行われており、冷たい麦茶が配られます。踊り子さんにとっては麦茶だけでもありがたいものですが、梅ノ辻では酸っぱい梅を配るのが伝統に。
いつからかは定かではないそうですが、踊り子さんの疲労回復になればという思いからスタートしたそう。地域の人の家の庭にある梅の実をもらい、足りない分は購入して毎年5〜6軒の家庭が50kgずつ漬けています。
さらに、本祭直前には個人賞メダルを花風にアレンジした梅メダルを作る作業、受付や審査場の設営もあり、地域のみなさんは休み返上で準備にかかっています。
人が人のためにやる祭り
地域の人が協力して作り上げている梅ノ辻競演場ですが、その歴史には紆余曲折あったそうです。競演場の代表を務める北村元身さんに話を伺いました。
「よさこい祭りがスタートした63年前には梅ノ辻に公設市場があり、商店街としての町並みもあったんですよ。ですから、他の会場と同様に『商店街の振興』を目的に競演場を始めたんですが、どんどん商店は減っていき、寂れていきました。梅ノ辻は特に変化をした競演場だと思います。時代とともに変化せざるを得なかった競演場ですね」
前回、升形地域競演場の記事に書いたように競演場はいま資金や人手などさまざまな課題を抱えていますが、梅ノ辻競演場はずいぶん前にそうした課題と直面。そして、廃止の危機を乗り越えて今に至っています。
「以前はやぐらを組んで審査をしていたが、資金が集まらなくなってそれも出来なくなり、競演場としての魅力がなくなったのか次第に踊り子も来なくなって、カラオケ大会をやっていた年もありましたよ。『どうしたら踊り子が来てくれるろう』とみんなでアイデアを出したものが、今につながっているんです」
業者に委託せず地域の人が作り上げる門型は「資金を節約するために」。沿道いっぱいに張り巡らせる万国旗やわざわざ漬ける梅、さらに普段はバスの沿線である道路を面倒な手続きを踏んで4車線フルに使うのも「たくさんの踊り子さんに来てほしい・喜んでほしいから」。競演場としての苦境が、今の梅ノ辻スタイルを生み出したのです。そして、そのどれもが「地域の人の手伝いがあるからやっていける」と北村さんはいいます。
「高知のよさこいは、人のために何かしようという人がいないとダメ。逆をいえば、そういう人がいれば続けていける祭りでもあるんですよ。褒められたことじゃないけど『バカになれる利口さん』にならんといかんのです。
よさこいは、神社の祭りのように神様を奉るわけじゃない。人が人のために、楽しく生きるためを思ってやるのが本質じゃないかなと、私は思う。」
「町の祭り」になるように
幾度の危機を地域の団結力で乗り越えてきた梅ノ辻競演場。
その甲斐あってか、地域対抗運動会では他の地域に比べて人数が少なく、平均年齢も高めだそうですが全然負けていないとか。「毎年競演場の準備をやっているおかげか、普段から地域の繋がりを感じられる。悪く言えば『となり近所筒抜け』やけどね」と北村さんは笑います。
「競演場は1000円、500円の寄付金が積み重なってできています。それぐらいの金額に頭を下げてまわるなんて出来ないと考える人もいるでしょうが、私は1人に100万円出してもらうよりも100人に1万円もらうことのほうが、『町の祭り』になっていくんじゃないかと思うんです」
とは言っても、やはり寄付金集めや面倒な手続き、そしてこの暑さの中での作業・・・と、競演場の運営は大変です。祭り当日にルールを守らないチームやマナーの悪い踊り子と出会ってしまうと心が折れそうになることもあります。それでも競演場を続ける理由が北村さんの胸にありました。
「私は梅ノ辻がここにあるということを知ってもらうために競演場の運営をしているんです。普段の何もない梅ノ辻を見て『ここでよさこいを踊った・見た』と思い出してもらえたなら、本当の『町の祭り』になったと言えるでしょうね。そういう風な競演場になれば・・・梅ノ辻が夏のいち風景になってくれればいいと思う」
最後に伺いました。未来のよさこい祭りのために、今必要なこととは?
「我々自身、今で精一杯だけど『これでいいのか』と思う。ただ、それ以上に『今を維持できるのか』とも思う。これから先、どこの競演場・演舞場も非常にしんどくなると思うよ。よさこいの神様がおれば別やけど、よさこいは人の祭り。どういう風に作り上げていくかは、みんなが考えよらんと。『第100回よさこい祭り』があるかどうか・・・続けていくためにはみんなが努力をしていかないかんね」
抜けるような青空の下、汗をぬぐいながら笑顔で作業する地域の人々。その賑やかさが夏の風景として地域に残るように・・・未来のよさこいは、今すでに始まっているのです。