「紙のまち」発展のルーツを物語る、手漉き和紙製紙所。
愛媛県の東のはしっこ、四国中央市。
この町は、書道用紙をはじめ、ティッシュペーパーやご祝儀袋など私たちの生活から切り離すことができないありとあらゆる紙製品を生産する、生産量・出荷量ともに日本一の町だ。
現代的な大規模紙生産が行われているこの町も、その歴史は手漉き和紙から始まる。
愛媛県の和紙産地としては、伊予和紙、周桑和紙、大洲和紙が知られるが、このうち四国中央市周辺地域で作られる和紙が「伊予和紙」と言われている。
この地域で紙づくりが始まったのは宝暦年間(1751年〜63年)の頃と伝えられており、その後地場産業として奨励されるようになり、慶応から明治にかけて大きく発展した。
今回訪ねてみたのは、この地域の和紙工房のひとつである宇田武夫製紙所。
大正時代初期に当主の手漉き和紙職人・宇田秀行さんの祖父が創業。先代の名前を屋号に継いで、100年以上手仕事による和紙製造を継承してきた。宇田秀行さんは宇田武夫製紙所の3代目にあたる。
手仕事ならではの和紙、その用途。
和紙づくりは当時より書道用紙が主流であったが、現在は版画用紙や美術用紙を中心に手がけている。そんな用途の中でも興味深いのが、何と神道の祭祀で使われる御幣(ごへい)のための和紙。有名神社からの特注で、ハリがあり丈夫で、大幣(おおぬさ)としても良い音がするとのことで、秀行さんの漉く和紙が愛用されている。より良い音を求めて原料の配合も工夫しているそうだ。和紙に音を求められるところに、紙の奥深さを感じずにはいられない。
和紙づくりの工程は全て手作業で行われており、乾燥も板に貼り付けて乾燥させる「板干し」。近年は蒸気で乾燥させるステンレス製のドライヤーで乾燥させるのが主流で一度はそれも試してみたが、秀行さんの漉く和紙には自然乾燥が一番合っているのが分かった。
そこに和紙があったから。
淡々と和紙を漉く秀行さん。しばらく漉く仕事に立ち会わせていただいた。静かな漉き場には、槽に溶けた原料を桁で掬う水の音だけが響く。漉いた湿紙(しとがみ)を桁から離し、紙床にする時の正確な動作。何度繰り返しても同じように和紙が重ねられていく。その姿に、見ている私の心が静寂さを取り戻していくようだった。
仕事が一段落した後、少しだけ話をしてくれた。
秀行さんは大学卒業後、家業を継ぐかどうかの人生の選択は25歳の頃だったそう。この世界で生きていくことを決め帰郷。書道用紙の需要が最も高まった時代には一緒に働く職人さんも大勢いたそうで、手漉き和紙の槽が9槽並び、工程は一部機械化され、大がかりな設備で製造されていた。
そんな時代もひたすら和紙に向き合い、工房を継承する3代目となった。
もの静かで優しく、言葉少ない秀行さん。100年以上も続く工房を継ぐ重責や伝統の継承など、伝統工芸を生業とされる職人さんのご苦労も多いのではと思いながら、この仕事をずっと続けてこられた理由は何ですかとお聞きすると、ただ一言「まあ、そこに和紙を漉くという環境があったからですよ。淡々とただ漉くだけです(笑)」とおっしゃった。
最後に秀行さんの和紙を見せていただき、名刺サイズとはがきサイズの手漉き和紙を譲っていただいた。優しい風合いでありながらハリのある紙質。紙の持つ静かな佇まいは秀行さんの人柄を感じさせる。
秀行さんの仕事に触れたひと時はとても楽しく、幸せな気持ちで工房を後にした。
宇田武夫製紙所の製品が入手できる所
四国中央市紙のまち資料館
http://iyokannet.jp/front/spot/detail/place_id/80/