失う前に、もう一度。
あんなに離れたいと思っていた地元も、
一度離れてみるとその良さがじんわりと浮き出てくるということがある。
その良さというのはおそらく、
誰にでも共通する良さ(たとえば名勝地のようなもの)ではなく
そこで過ごした記憶、つまり「思い出」とともに個別に存在しているものだろう。
そして「思い出」の数が多いほど、その土地への「愛着」は増すのではないかと思う。
2005年に出版された『高知遺産』には、冒頭の言葉とともに
高知の大切にしたい風景250カ所が写真で記録されている。
そこに掲載されているのは決して、景色がきれいな名勝地ばかりではない。
おしゃれなカフェでもない。著名な設計士の建築でもない。
暮らしとともにそこにある、誰かの「思い出」が詰まった風景の集まりだ。
この本が生まれた背景には、利便性と引き換えに形を変えていった高知の町の姿がある。
便利さを求めることが悪いわけではない。
しかし便利さを追求した結果、町は画一化されはじめた。
巨大なショッピングモールが乱立し、道路が拡張され、
「思い出」の詰まった土地は次々と姿を消していった。
「失うのはもうこりごりです。」と
編集長・タケムラさん(四国大陸編集長)が思いを込めてから約10年。
悲しいかな、失うことは止まらなかった。
本のなかの風景もいくつか消えてしまったことだろう。
掲載されている写真たちが特段にきれい、というわけではない。
掲載されている場所も高知に縁がなかったら、知らないところばかりだ。
ここに切り取られていなかったら、素通りしてしまいそうなところも多い。
なのに、気づけば写真の向こうの町に愛着を感じている。
これは「高知の遺産」であると同時に、「この時代の遺産」なのではないだろうか。
そして確かな熱量をもってまとめあげられたこの本に出会えたことを嬉しく思った。
失うことを嘆くのではなくいまこそもう一度、
町の「思い出」について、立ち返ってみるべきなのではないだろうか。
土地の持つ魅力は、「愛着」を持つ人の数に比例していると私は思う。
自費出版では異例の7000部を完売し、現在絶版の『高知遺産』。
発行から10年となる今後は、書籍のデジタル化を予定しているとのこと。
手元に温めておくよりも、多くの人の目に触れるべきだと私蔵の本を
先日徳島市の「nagaya.」に贈呈したので興味のある方は訪ねてみてください。