ひさしぶりの投稿です!今回、和田邦坊のパッケージでご紹介するお店は、香川県高松市牟礼町牟礼にある「山田家うどん」です。香川県はアート県!だけどやっぱり、うどん県!
和田邦坊ってだあれ?となる方は、随分昔に投稿したこちらの記事をご参考ください。
あの100円札を燃やしている風刺画の作者です。
http://459magazine.jp/culture/11569/
「山田家うどん」は、和田邦坊の甥にあたる山田潔氏が昭和54年に開業したしたうどん屋です。邦坊・渾身のプロデュースともいえるお店で、見どころたっぷり。まずは、いつものように、包装紙を見てみましょう。

包装紙全体

「山田家うどん」の駐車場からも、五剣山を眺めることができます。
こちらは「山田家うどん」が使用している定番の包装紙。広げてみると、わあー素敵!讃岐らしい風景が広がっています。描かれている山は《神が宿る山》と伝わる五剣山です。五剣山は、その名の通り、かつては5つの剣のような嶺がありましたが、宝永3年(1706)の大地震により東側の嶺が崩落し、現在の4つの峰になっています。どっしりとした安定感ある五剣山の姿は「山田家うどん」の賑わいを見守ってくれる存在として描かれたのかもしれません。
次に、お店の屋号「うどん本陣山田家」の部分を見てみましょう。「山」という文字は、どことなく五剣山のとんがった峰の様子に似ているような。。。また、それに続く「田」「屋」の文字は、決して端正で美しい文字ではありませんが、なんとも親しみが湧く素朴さと骨太なフォルム。まるで、コシのある讃岐うどんのようです(笑)そして、白と黒のコントラスト、濃淡の美しさを表現できる水墨画は、日本画を得意としていた邦坊らしい画風ですが、この包装紙のデザインをみると、差し色で加えられた朱色の部分にも注目できます。モノクロームの配色のなかで、屋号を際立たせるアクセントカラー。画面にピリリと効いていますね。最近は、この包装紙をアレンジした“うどん缶”も販売されています。手頃な大きさと重さで、コロンとした缶は、渋いけどかわいいアイテムです。私は、小物入れにして使っています(^^)お土産におすすめですー
可愛い缶入りうどん♪

お茶はセルフサービス。手入れが行き届いているお庭を眺めながら、おうどんを待ちましょう。
では、店内についてご紹介いたします。あの有名な和田邦坊がプロデュースしたお店なので、ついつい、あれもこれも、邦坊がデザインした作品です!と言いたくなりますが、実は、各テーブルに用意された湯のみのは、知られざる?もう一人の芸術家がデザインを手がけています。それは、和田邦坊の実弟であり、山田潔会長のお父様である山田正夫さんです。(※)正夫さんは、東京美術大学に進学し、卒業後すぐに二科展に入選した実力者で「讃岐の産んだ天才洋画家」と言われていた方でした。お兄さんの邦坊と違って、抽象画の油絵を得意としていましたが、湯呑の絵柄をみると、なんとも柔らかいタッチの風景画。「父親が、店の民芸調の雰囲気に合わして描いてくれたんやと思う」と会長が言うように、邦坊がデザインした内装と調和した優しい風景が湯呑の中に広がっています。湯呑の底を覗いてみると、トレードマークの「山」を発見。象形文字のような不思議なマークも、邦坊がデザインしたものです。「一度見たら忘れられん印象を与える、それがデザインのポイントだ」と潔氏に教え諭したこともあるそうです。

湯呑の底・山のマーク
「山田家うどん」の店舗のなかには、和田邦坊の絵画作品もたくさん展示されています。内装や包装紙もおすすめのポイントですが、ぜひお茶をいただくときは、湯呑までチェックしてみてくださいね。

おススメのきつねうどん。お丼の図柄をよく見ると、お湯呑と同じ(^^)そう、これも和田正夫さんのデザインです。
わたしのおすすめは、かつおぶし、たっぷりの定番中の定番「かけうどん」です。人気の「釜ぶっかけ」と迷ってしまうけど、和田邦坊が考案したメニューということで「かけうどん」推しです!あと、邦坊さんメニューといえば、大きなお揚げがドーンとのった「きつねうどん」もお気に入り。うどんにインパクトを!というデザインですね。
おわりに
しばらく投稿がありませんでしたが、和田邦坊さんの調査は絶賛継続中。
和田邦坊さんのことを知っている、原画作品を持っている、これって和田邦坊さんの作品かしら?など、いろいろ情報を探しています。また、お近くに素敵な情報をお持ちの方はご連絡お待ちしています。
見て楽しい、食べて楽しい和田邦坊の世界。
次回もよろしくお願いします(^^)/
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※山田正夫(旧姓・和田正夫)は、明治40年生まれ。ジャーナリストの和田菊処の四男。長男の邦坊よりも8つ下の弟にあたる。幼いころから、邦坊と同じように画家を目指しており、高松市四番丁小学校、香川県立工芸学校(現・香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校・西洋学科(現・東京芸術大学)に進学。卒業後、すぐに二科展の入選が決まる。当時の新聞では「嚴選中の嚴選、難關中の難關を突破して見事なる入選振りを見せた當地出身の新進逸材和田正夫」と天才画家の誕生に期待が寄せられていた。ヨーロッパへの留学も考えていたようであるが、帰郷後は、香川県高松市牟礼町牟礼の山田家へ養子に入り、牟礼中学校の美術教員となる。その後、山田家は酒醸造の歴史に終止符を打ち、正夫の長男である山田潔氏が「山田家うどん」を開業する。
写真提供:松村有泰
うどん本陣山田家 http://www.yamada-ya.com/