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徳島県牟岐町の沖にある風情ある島「出羽島」

《徳島》冬の到来を告げる「ウツボの天日干し」は牟岐町の風物詩

2014.12.17 

讃岐人物史・和田邦坊を探る(1)

和田邦坊とは?

「香川のデザインは邦坊のデザイン」。

こんな謳い文句を聞いても、きっと生粋の讃岐っ子でさえ、なかなかピンとくる人はいないと思う。
和田邦坊の追っかけをしている私にとっては、それは少し残念で、がっかりしてしまうところだが、
名声に無頓着な邦坊自身は、きっとがっかりもせず、残念にも思わないだろう。

和田邦坊(1899-1993)。本名、和田邦夫。
香川県琴平町出身。氏の肩書きを説明するのは、とても難しい。
漫画家、新聞記者、小説家、画家、デザイナー、商業プランナー、讃岐民芸館の初代館長。
映画「ウチの女房にゃ髯がある」の原案者というと反応する世代も多いが、
一番の有名な作品は、船成金の風刺漫画かもしれない。

芸者「暗くてお靴が分からないわ」

紳士「どうだ、明るくなったろう」

この会話は、第一次世界大戦で利益を得た「船成金」を風刺した漫画の1コマで、
学生時代に教科書で見た人も多いはずだ。
惜しむべき点は、歴史資料としての認知度は、抜群ではあるものの、作者の名前はほとんど知られていない。
が、風刺漫画というものは、自分の名前より、描いたモノが的確に時勢を表現し、
かつ歴史として記録されることが作者冥利に尽きるのかもしれない。

若い世代に「船成金」の作者が香川県の人であると説明すると、すこぶる掴みが良い。
ということで、今回はその掴みだけの紹介になったが、
和田邦坊を語ろうとすると、どの切り口からクローズアップしようか迷ってしまう。
さしあたって、次回は「香川のデザイン」と謳われた「邦坊のデザイン」について紹介していきたい。

《あとがき》寄り道・脱線しながら、邦坊の軌跡を追いかけていきます。

画像 『漫畫明治大正史』中央美術社 昭和3年 扉絵より「成金栄華時代 和田邦坊」


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