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【現代地方譚3/アーティスト・イン・レジデンス須崎】展示期間中プログラム『ちょこぶら』アートと町並み、グルメ、歴史・文化を楽しむ町歩き

2015.8.24 

『没後20年 具体の画家―正延正俊展』作品を通して自分を表現し続けた、知る人ぞ知る画家の人生を追憶する

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故郷の人にさえ、ほとんど知られていない画家・正延正俊

高知県須崎市出身の画家・正延正俊(まさのぶ まさとし)。
地元の人間でさえ「知らない、聞いたことがない」と答えるほど、故郷に馴染みのない作家である。
没後20年の節目に西宮市大谷記念美術館と高知県立美術館とが共同企画し、この展覧会は恐らく最初で最後だろうと言われている。所蔵作品66点を一堂に観られる機会は今後ないだろう、と言われているほどなので、回顧展とも呼ぶに等しい。

一見、渋く地味な作品だと思いがちだが、そこに垣間見える正延という人物を照らし合わせると印象がまったく異なる。
まずは、正延正俊という人物について触れてみたい。

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正延は1911(明治44)年、高知県高岡郡須崎町(現在の須崎市)に生まれ、高知県師範学校専攻科を卒業。高知、東京、神戸で小中学校の美術教師として教鞭をとる傍ら画家として活動していた。
戦前、高知県美術家連盟やRT社などの地元の洋画グループ展に参加。終戦前年に神戸に移り画家としての活動を再開。その後、戦後日本を代表する前衛美術グループ「具体美術協会(通称:具体)」の結成に参加。

「具体」は吉原治良(よしはらじろう)によって1954(昭和29)年に結成され、翌年に初のグループ展「第1回 具体美術展(具体展)」を東京で開催。
当時としては珍しいパフォーマンスやインスタレーション、斬新な抽象画などは先鋭的であり、現在のアートシーンに大きな影響を与えた、と言われる。現在は国際的に人気となり世界から注目されている。

1968(昭和43)年に教員を退職。1972(昭和47)年に「具体」が解散するまで会員として籍を置き、野外や舞台を除いて「具体」が主催するすべての展覧会に出品。晩年は西宮で絵画を描き続け、1995年(平成7)年に逝去―というのが主な経歴である。

では、正延の人柄はどのようなものだったのだろうか。
家では物を喋らない、作品の制作中は家族ですらアトリエに入れなかった、という話があるほど、寡黙な人だったという。
そのため、作品に関してのあらゆる情報はほとんど知られていない。文献などで知れたとしてもほんのわずかな情報でしかないのだ。
作品を観ても、どこから塗りはじめたのか、上下左右が分からない、分からないことだらけ。正延が意図していたのかどうかは定かではないが、観るものの想像を掻き立てる、という部分ではとても興味深い作品ばかりである。

加えて、高知県立美術館の学芸員に聞いたエピソードをいくつか聞くとぼやけていた人物像が少し輪郭を描くように思える。
「奥様へのプロポーズがなかなか出来ず、画家仲間がやきもきしていた」
「本当は明るい色彩を使いたかったけれど、使えなかった」
など、内面を知るたびに人間らしさを強く感じられるようになる。
と同時に、そのあとで見る作品はちょっとした愛おしさの様なものを覚えてしまう。
見終ったあとに一番に思ったことは「生きているうちに一度お会いしたかった」という感想だった。

初期から晩年にかけての作風の変化を楽しむ/高知県立美術館での展示作品

展示会場は2部屋・4章の構成になっており、初期から具体参加後の作風の変化をじっくりと鑑賞することができる。
それは言わば「正延の人生」を辿ること、である。
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初期の作品は自画像、風景画などが中心。風景画といっても何を描こうとしているのかが分かりにくい。
自分の頭の中にある場面を組み立てることに注力していたためか、風景画の中のモチーフも想像したものでしかないのだ。もしかしたら存在していないものかもしれない。
そうなると風景画として呼ばれていたとしても、性質は抽象画に近いのだ。
ここで覚える違和感は、そういったことが関係しているように思う。
いくつかの不思議な絵を経て、少しずつ絵画に変化が訪れていく。
具体の創設者・吉原に出会ったあとから、晩年の正延の作風が生まれる過程をはっきりと感じることができる。
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全体的な色合いは相変わらず落ち着いているが、何かを生み出そうとしている様はこの時期が一番強いように思えた。
キャンバスをまじまじと見てみると、試行錯誤を繰り返しながら色んな実験を重ねていることが非常によく分かるのだ。何層にも塗られたであろう油絵具がそのことを物語っている。
作品数が多いことを考えても、乾きにくい素材を使っていることから同時進行で制作していたことが想像できる。
この頃、正延の年齢は43歳。
画家としてはかなり遅い時期に具象から抽象へと作風を転換し、絵画スタイルが出来はじめたことにも驚いてしまう。

その後の作品は一目見ただけで「正延正俊だ」と分かるほど、作風が際立っていた。
色合いも初期と変わらず黒・黄土・アイボリーが主ではあるが、画面全体が明るくなっており、濃淡や全体のメリハリ、形の表現、描き方も変化している。
大きなキャンバス一面が丸のようなもので埋め尽くされた絵。
細い線が画面全体に描かれている絵。
これが何を表現しているのか、主題を見ても『作品』と書かれているだけ。
そんな作品ばかりである。
分からないけれど、それでも、絵画から感じられる「何か」が、心の中で渦巻くような感覚が押し寄せてくるのだ。
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正延正俊という人物と絵画

「人のまねをするな」「誰もやってないことをやれ」
という吉原のモットーに基づいて、正延はひたすら自分の追求したものを描き続けた。
憶測にしか過ぎないが、正延の作品は正延自身なのだ。
絵を描くことは自分を表現すること、本当の自分そのもの、だったのかもしれない。
それはある種の「人間くささ」みたいなものだ。

自分の描きたいものを描く。
それは誰かのためではなく、正延自身のためだった。
だからこそ現状に満足することなく、常に新しい手法を探し実験を繰り返す。
時には作風も変え、絵画と向き合ったのではないだろうか。
こういった姿勢は具体の若いメンバーにも影響を与えた、とも言われている。

早くに高知を離れた正延だったが、故郷への深い愛情は持ち続けていた。
1951(昭和26)年には第5回高知県美術展覧会(県展)で油彩画が入選し、特選を受賞している。
高知の戦後美術において、その存在が重要な位置を占めていたことも分かってきている今、知る人ぞ知る画家となってしまった正延の魅力を存分に堪能できる展覧会となっている。
「地味」「渋い」と言われる正延作品だが、印刷物では味わえないキャンバスの大きさや迫力、色、質感は実際に見て体感していただきたい。

最後に、正延の晩年の作品の中に綺麗な青色が使われているものがある。
青空のような素晴らしい絵だった。
ただの想像だが、もしかしたら故郷の高知の空のような気持ちで描いたのかもしれない。

こちらも併せてご覧ください→学芸員レポート:「没後20年 具体の画家──正延正俊」川浪千鶴(高知県立美術館)

※本来、展示室内は撮影禁止ですが、取材も兼ねていたため特別に許可をいただいて撮影させていただきました。

【没後20年 具体の画家-正延正俊 展】
会 期:2015年9月29日(月)まで ※会期中無休
時 間:午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)
観覧料:一般870円/大学生570円/高校生以下は無料

【関連イベント】
●8月29日(土)午後2時~午後3時30分
ワークショップ&トーク「手を動かすことで見えてくる世界」※要予約
鉛筆と紙というシンプルな材料から抽象絵画の制作プロセスに迫る、大人向けのワークショップです。

●9月12日(土)午後2時~午後4時
記念講演会「前衛を目指した高知の画家―正延正俊の作品」
正延正俊が高知に住み活動した約20年に始まり、正延が参加した前衛団体「具体」の研究者が正延作品の魅力についてお話しします。

●会期中の毎日曜日 午後2時~午後3時
担当学芸員によるギャラリートーク(作品解説)


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